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Float/World

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【TOA】スピッツベルゲンの魔女

 ネビリム先生が主人公の昔話です。少女ネビリムがロニール雪山で行方不明になった友人を探しに行ったところ、不思議な古城に迷い込み―――。
 ネビリム先生の過去、性格を捏造しています。一つの解釈と思っていただければ幸いです。また、オリジナルキャラクターも登場します。何でも許せる方のみお楽しみください。

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 あれはいつのことだったでしょう。
 そう、私がまだ若く、未熟で、世界の恐ろしさを知らなかった頃の話です。
 とある雪山で、私は彼女に出会いました。
 彼女は、私がいずれ力を手にすると予言しました。
 その言葉の意味を、今なら深く、理解することができます。
 いつかあなたたちが大きくなったら、話してあげましょう。
 私が氷の城で出会った、不思議な魔女のことを。
 


 スピッツベルゲンの魔女



 吹き付ける吹雪は私を拒むかのように重く、強く、行く手を遮っていた。
 灰色の空から雪を運ぶ向かい風に目を細めながら、私は深雪の中を進んでいる。身にまとうのは神託の盾騎士団の寒冷地用の装備。履き慣れたはずの厚いブーツの中で私の足は悲鳴を上げ、今にも進むことをやめてしまいそうだった。
 それでも足を止めるわけにはいかない。私には私にだけ与えられた、私にしか果たせない使命がある。それを遂げることなく野営地に帰ることは、一人の人間の命を見捨てること、私を消そうとこんな使命を課した人間をみすみす喜ばせることを意味する。
 それだけは断じてならない。私は友人を救うためにも、彼らの鼻を明かすためにも、決して諦めてはいけないのだ。
 視界の隅に、一面の雪と同じ色の髪がちらちらと舞う。それを邪魔だと言わんばかりに払い、私は前方を睨み据えた。
 握りしめたコンパスを覗く。彼のいると予想される地点は、近い。
 私は行くべき方角を定めると、強い足取りで雪を掻き分けた。



 事の発端は、ロニール雪山での訓練中、同郷の友人が行方不明になったことだった。
 彼の名はカイ。共に神託の盾騎士団の士官学校に入り、今回の実地訓練で同じ部隊に配属された幼馴染だった。彼とは幼少のころから特別親交があったわけではなく、時を同じくして士官候補生となったのを機に急速に親しくなったのだ。擦れ違えば言葉を交わし、互いに食事に誘い合うこともしばしばだった。
 カイは私の数少ない友人の一人だった。自分で言うのも憚れるが、私は人目を惹く外見をしており、生まれ持った譜術の素養が高かったために天才と褒めそやされて育った。そのため、幼い頃から寄り付く人間は多かったものの、その中で心を許せた者はほんの一握りだった。
 カイはその中の一人だった。彼は必要以上に私の内面に立ち入ることなく、しかし困っている時にはさり気無く手を差し伸べてくれる優しい人だった。
 そんな彼が、突然、私の前から消えた。
 士官学校の課程の中でも、シルバーナ大陸での試験を兼ねた訓練はとりわけ厳しいとされている。カイはその最中、クレバスに飲み込まれて消息を絶ったのだ。
 班長だった私は責任を問われ、教官にカイの救助を命じられた。たったひとり、雪山に分け入って彼の行方を探せと。
 この救助活動が限りなく不可能に近いものであることは、誰の目にも明らかだった。日ごろから教官は、非の打ちどころのない生徒である私を煙たがっていた。彼が私を合法的に亡き者にしたいと考えていることは、私以外の班の人間にもそれとなく分かっていたと思う。
 しかし、誰も抗議の声を上げなかった。仲間が絶体絶命の窮地に立たされているのにも関わらず、誰一人教官に反抗する者はいなかった。私は、私には本当の味方がいないのだと思い知らされた。別に、絶望はしなかった。元々分かっていたことだ。
 だが、教官の命令に背こうなどとは欠片も思わなかった。カイは私の未来に必要な人間だ。彼を失うわけにはいかない。他の誰が助けに行かなくても、私が赴いて彼を連れ戻す。
 私は心を決め、言い渡された言葉に従容と従った。死地に赴く私を見送る同期たちの目は見開かれていたが、私はそれに毅然とした態度で応えた。
 私はこの救助に成功する絶対の自信があった。もとより物事には失敗したことのない私だ。人一倍の才能を持って生まれ、人一倍努力を積んできた私に不可能なことは何もないと自負していた。
 私は向上心が強いのだ。神託の盾騎士団への入団を決意したのも、ここを自分の能力を最大限に生かせる場と見込んでのことだった。騎士団は譜術士として成功することに加え、誰かを守れるという満足感をも与えてくれる。預言という、国や文化に捕らわれない絶対の価値観の守護者になることを、私は自分の天命だと信じて疑わなかった。
 そのような未来を掴むためにも、私は絶対に生き残らねばならない。例え状況がどんなに困難に陥ったとしても。己に負けて、来た道を引き返すようなことはしてはならないのだ。



 しかし、私は限界に近づいていた。
 何度か休憩を入れながら進んだが、次第に疲労の色は濃くなり、私の歩みを鈍重なものにしていた。吹雪も一向に止む気配を見せず、視界は悪くなるばかりだった。
 カイが消息を絶ったとされる場所は、何時間も前に過ぎていた。それでも影一つ、足跡一つ、見つけることができないなんて。
 このままでは彼を連れ帰ることができない。カイが自ら動けない状態になっていた場合に備え、彼を引きずって帰れるだけの体力も残しておかねばならない。
 あらゆる場合を想定し、残された体力から逆算するに、もうそろそろ、このあたりで切り上げないと、私は自分自身さえ生き残らせることができないかもしれなかった。
 私は深く逡巡した。諦めたくないと心が叫ぶ。生きて帰らねば元も子もないと理性が説く。
 カイを見つけられず帰還して能なしと罵られるのか。途中で死んで犬死などと蔑まれるのか。
 葛藤は私を苛み、思考を現実から切り離した。
 その一瞬の隙が、私を死の予感に気付かせるのを遅らせた。
 足を引き摺るように一歩を踏み出した瞬間、真下から何かが沈み込むような、重い音がした。
 少し遅れてそれが意味するところを悟り、引き返そうとする。しかし、斜面に積もった表層の雪は早くも滑り出し、私の足を捉えた。
 雪崩だ。瞬く間に雪は私の体を覆い、視界を遮った。
 奔流に飲み込まれ、上も下も分からなくなる。私は努めて冷静に、訓練で叩きこまれた雪崩対策の知識を思い出していた。しかし、状況は最悪であることは明らかだった。
 やがて圧力と暗闇から一瞬解放され、体が空中へと投げ出されるのを感じる。私は咄嗟に落下の衝撃に備え、受け身の体勢をとった。
 無重力状態の中思い浮かんだのは、カイのことでも、故郷の両親のことでもなく、私を嘲笑う教官の顔だった。
 私は地面に叩きつけられるのと同時に、気を失ってしまった。

 

 ゲルダはなんでもできるんだね。
 人の良さそうな笑顔で、彼は言った。
 普通よ。できることをしているだけ。
 私は得意になるでもなく、淡々と答えた。
 じゃあ、この子を助けることはできる?
 彼が連れてきたのは、瀕死の子犬だった。
 ええ、もちろんよ。
 治癒の譜術をかける私を、彼は不思議な光がこもった瞳で見つめていた。
 その意味を、深く考えたことは、なかった。



 水晶に匂いがあるとしたらこんな匂いだろうか。静かで、冷たくて、堆積した時間とほのかな湿度を感じさせる、深遠な匂い。
 初めに戻ったのは嗅覚だった。頭がかすかに痛む。長い間眠っていたような、それとも意識を失っていたのは一瞬だったような、つかみどころのない感覚を覚える。
 目を開ける。視界は薄暗かった。ここが屋外ではないことはすぐに分かった。日光ではない、人工的な光が空間をかすかに浮き上がらせている。
 私は意識が明瞭になるなり、すぐさま起き上がった。幸い、体に怪我や痛むところはない。私は周囲を見回し、状況の把握に努めた。
 目に映ったのは、高い天井が、幾本もの柱によって支えられているさまだった。どこかの城のエントランスを思わせるような作りだが、装飾や調度品めいたものは一切ない。単調でそっけない様式の建築はしかし、どんな豪奢な城にも劣らぬ尊厳さを感じさせた。
 なぜならば、その広間は床も、壁も、柱も、天井も、クリスタルのように澄んだ氷でできていたからだ。複雑にカットされた氷は静謐な光を反射、あるいは透過し、この世ならざる光景を作り上げていた。
 生ける者を阻むかのように無機質な内装は、時が止まったかのように朽ちたところがない。薄暗闇の中目を凝らせば、なめらかな床の上には埃一つないことが見て取れる。音など聞こえず、動くものもなく、ただ漂うのは嗅いだことのない清冽な匂いだけだった。
 いったい、あの雪崩の中から誰がこんな場所に自分を運んだのだろうか。いや、もしかしたら落下した地点がたまたまこの建物の入り口だったのかもしれない。周囲にそれらしきものはないが、人間がいるとは思えない以上、そう考えるほうが合理的だった。
 私は偶然にも、幸か不幸か、この場所に迷い込んだのだ。この奇妙な、氷の城に。
 腰の剣を抜き、正面に構える。ここがどこかも分からず、いつトラップや魔物が襲ってくるかも分からないからには、存分に注意して進むほかない。私は張りつめた空気の中、周囲に剣を向けながら、ゆっくりと歩き出した。
 遠方にこの暗闇を照らし出す明りが見える。取りあえずは、その澄んだ輝きを目指して進んだ。
 しばらくして、目の前に大きな扉が現れた。扉も氷でできており、私の顔を鏡のように映し出している。照明はその上に掲げられた譜石だった。微かだが、人の気配がする。
 中の様子を窺いながら観音開きの扉を開く。素早く扉の前に回り込んで三方へと剣を向けた。
 私を迎え入れたのは、謁見の間のような場所だった。先程までいた広間よりは幾分か明るく、部屋の隅々まで見渡すことができた。ぐるりと辺りを見回すと、その奥にあるものに目を奪われる。
 広い空間の突き当りに、玉座のようなものがしつらえられていた。背もたれが高く一目で貴人が座るものなのだろうと察しがついたそれは、やはり氷でできている。玉座は遠目に見ても美しく、霜烈で、ここに座る王はさぞかし厳格で気高い人物なのだろうと予想させるに十分な品格を醸し出していた。
 何より、その玉座が私の目を引いたのは、その前に探し求めていた人物が倒れていたからだった。彼はまるで玉座にすがるかのように手を伸ばし、御坐へと至る階段の上に横たわっている。
「カイ!」
鋭く発した声が広間に反響する。その残響が収まらないうちに、私は駆け出していた。
 彼のそばに駆け寄り、剣を持っていないほうの手で肩を揺すぶる。何度か名前を呼び、頬を叩いたりもしたが、彼が目を覚ますことはない。
 おかしい。呼吸も、脈拍もある。生きてはいるのだ。もしかしたら、脳震盪を起こしているか、何らかの催眠術をかけられているのかもしれない。それならば、治癒術で回復させることができるだろう。
 私が詠唱を始めた、その時だった。
「汝、客人の友人か」
不意に、声が響き渡った。
「誰だ!」
私は素早く剣を構え、周囲を睨みつけた。空気に動きはなかった。扉も閉まったままだ。男とも女ともつかぬ不思議な声色が、どこから発せられたのかは分からない。それでも、声の出所を突き止めようと、意識を研ぎ澄ませる。
「誰何する前に我が城に立ち入った非礼を詫び、我が問いに答えよ、兵卒」
声はこちらの意識を攪乱しようとするかのように複雑に反響し、その正体を覆い隠した。彼、もしくは彼女の言葉から察するに、相手はこの城の主人のようだ。
 私は一呼吸置く間、考えを巡らせた。束を握り直し、平静に応える。
「あなたはここの主なのね? それなら許可もなく立ち入ったことは謝るわ。ごめんなさい。でも姿も見せない相手に名乗る道理はないわ」
私は臆することなく言い放った。まずは姿を見せよ。そうでなけければ例えお前があの立派な玉座の主だとしても、へりくだることはないぞ、と言外に語る。
 不思議なことに、私には声の主が頷くのが見えたような気がした。
「汝の申すことはもっとも。しかし許すのだ、兵卒。我が姿は到底人の目では捉えることができぬ」
私はやはり、と胸の中で独り言ちた。
「でも声は聞こえるわ。声帯は持っているのに不可視だなんて、おかしな話だわ」
声の正体には心当たりがある。おそらく、音素の意識集合体だろう。でなければ、このような無機質な城を守っていること、人語を解することに説明がつかない。
 少し考え込むような間があったのち、城の主は鷹揚と言った。
「その物怖じせぬ態度は気に入った。特別に、汝ら二人とも外の世界に返してやろう」
主のどこか気を良くしたような様子に、私は微笑む。
「まるでここから出す気がなかったみたいな言い方ね。でも感謝はするわ。
 私の名前はゲルダ・ネビリム。神託の盾騎士団の訓練兵よ。彼、カイを探していたらここに迷い込んでしまったの」
剣を収め、きちんと敬礼の姿勢をとる。すると、主が息を呑むような気配があった。
「汝が、ゲルダ…そうか…」
「何か?」
私が首をかしげると、主は押し黙った。気になったが、今はそれどころではないか、と相手の様子を無視することにする。
 一刻も早くカイに治癒術をかけなければ、手遅れになる可能性だってある。私は友人を仰向けに寝かせ、詠唱を始めた。
 しかし、詠唱が終わっても、カイが瞼を開くことはなかった。いくつか別の治癒術を試してみたが、どれ一つとして功を成さない。私は眉をひそめ、主に向って呼びかけた。
「カイが目を覚まさないのは、あなたの催眠術かしら? 彼を起こしてほしいの。でないと私が彼を引きずって連れて帰ることになってしまうわ」
主は、なんらかの理由があってカイに強力な催眠術をかけたのだ。それならば、術を解呪し得るのは、術をかけた本人のみだ。老練な治癒士なら本人に代わって術を解くことも可能だろうが、私一人で野営地までカイを引き摺って帰るには、厳しいものがある。
 しかし、主は厳かな調子で言った。
「その少年の目を覚ます方法は一つしかない。彼を想う者が流す涙によってのみ、彼の眠りは解かれるのだ」
「つまり、私の涙?」
私は虚を衝かれ、訝しげに問う。そんな方法は、聞いたことがなかった。それこそ、御伽噺の中でしか。
「そうだ。汝の流す慈愛の涙だけが、その少年の心を解かし、彼を眠りから覚ますことができる。彼のためにここまで来た汝になら、容易いことであろう?」
主は試すような口ぶりで言った。その内心を見透かすような言葉に、私は返答を詰まらせる。
「もちろんよ」
努めて気丈に答えたものの、自信はなかった。普段なら絶対にこんなことはない。何かをしようとするのに躊躇いや、不安が生じるなんて。ゲルダ・ネビリムの、あるべき姿ではない。
 私はカイの顔を両手で挟み、その閉じた瞼を見つめた。彼との記憶を掘り起し、彼が私にしてくれたことを一つ一つ手に取るように思い浮かべた。彼の笑顔、私を勇気づけてくれた言葉、彼の優しい手、それらを心に思い描き、温かな感情を呼び起こそうとする。彼がもし失われてしまっていたら、と彼のいない未来を想像し、自分を悲しめようとした。私にとって大切な存在である彼を、何を犠牲にしても救いたいと、強く念じた。
 しかし、涙は流れなかった。瞳は冷たい空気の中で乾いたままだ。何度試しても、何を思い巡らせても、温かな液体は頬を濡らさなかった。ただ深淵のような虚しさだけが、私を支配した。本来悲しみや慈愛があるべき場所に、ぽっかりと穴が開いてしまったかのような心地がする。
「…できないわ」
震える声で呟く。この無様を見守っていたであろう主の、醒めた視線を感じた。主は、それまでとは違った極めて冷徹な声で言う。
「汝の心が読めたぞ。野心家で、強欲。虚栄心の塊。己の沽券を示すことだけに命を捧ぐ、愚かな娘よ」
「違うわ! 私が私のためだけに生きているだなんて、そんな…!」
私は叫んでいた。主の言っていることはまやかしだ。たかだか実体を持たない相手の言葉に、何を揺さぶられる必要がある。私のことは私が一番良く分かっている。私がそんな、私欲にまみれた人間であるはずがない。
 だが、主は抑揚のない声で告げる。
「我には分かる。娘よ、恥じることはない。汝はやがて自らの欲望を隠す術を覚え、己の内を誰にも露わにせず生きることになるだろう。そうして汝の闇は熟成されていき、やがて―――」
「やめて。私は違うわ。私は…」
私の声は徐々に小さくなっていった。本当は、分かっていた。私は、主の言う通りの冷酷な人物なのだと。隠された真意を暴かれ、その言葉の羅列にかつてないほど動揺したことが、何よりの証拠だった。
 自分の名誉のためにカイを救おうとした。教官を見返し、自分の能力を見せつけるために、カイの救助を利用しようとした。
 雪崩に巻き込まれ死を覚悟した瞬間、思い浮かんだのは両親を悲しませてしまうことへの後ろめたさでも、助けられなかったカイへの懺悔の気持ちでもなく、教官の鼻を明かせなかったことへの口惜しさだった。
 なんて、自己中心的なのだろう。なんて、残酷で愚かなのだろう。
 私の心に、他者への優しさなんてものはこれっぽっちも宿っていなかったのだ。
 全身から力が抜け、膝をつく。思い知ってしまった。もはや何の弁明もできない。
 私は、誰かのために涙を流せるような人間ではなかったのだ。
 その事実に打ちのめされ、茫然と宙を見つめていると、主が粛々と語り出した。
「汝はいずれ、ここで古の力を用いることになる。その代償を払って初めて、汝は他者のために涙を流せる存在となるであろう」
予言めいた言い方だった。その声からは、先程までの冷たさは感じられなかった。
「古の、力…」
私は主の言葉を繰り返す。意味するところを図りかね、質そうとしたが主の声に遮られる。
「力を持つことは幸いか? それを再び、ここでまみえたときに汝に問おう」
声は次第に遠ざかっていった。それに合わせ、私は自分の足元が崩れていくかのような感覚を覚える。直感で悟った。主は私たちを『返そう』としているのだ。
「待って、まだ返さないで。聞きたいことがあるの」
追いすがるように宙に手を伸ばす。しかし、主はならぬ、と断じた。
「汝が泣かない代わりに、その少年のために我が涙を流そう。この借りは、いずれ、返してもらうぞ」
視界が不明瞭になり、世界が自分から遠ざかる。時空が歪み、私は自分の上げた叫び声さえ、聞くことができなかった。
 すべてが飲み込まれる直前。柔らかな声が、頭の中に響いた。
「しばしの別れだ。魔将、ネビリム―――」
彼女が私を奇妙な異名で呼んだのが、最後だった。



 目覚めたのは、粉雪の舞い降りる雪原だった。私は目を見開いたまま、雪の上に仰臥していた。
 体を起こすと、すぐ隣から人の動く気配があった。振り返れば、カイが頭を抱えて座り込んでいる。
「カイ、目が覚めたのね?」
彼は視線を上げ、私を見る。安堵の息を漏らす私とは正反対に、彼の顔は疑問の色に満ちていた。
「ゲルダ、何があったんだい? 他のみんなは…」
彼は自分のそばにいるのが私一人であることを不思議に思ったようだ。私は彼に起こったこと、自分がしてきたことを簡単に説明する。
 しかし、私が氷の城で彼を発見したことを話すと、彼は途端に胡乱げな表情をした。曰く、そんな城には見覚えすらない。自分はクレバスに落ちた瞬間に気を失い、気が付いたらここに横たわっていたのだと。
「ゲルダだって、どうやってその城からここまで移動してきたのか分からないんだろう?」
彼の言うことはもっともだった。私は押し黙り、それ以上氷の城について言及するのは避けた。今重要なのは白魔が見せた幻影についてその真偽を論ずることではなく、ふたりで温かいスープのある場所に帰ることだった。
 幸い、私たちが目覚めたのは人里からそれほど離れていない場所だ。山脈の形から推測するに、野営地は近い。
 私たちは互いの装備を点検し、水分を補給すると、その方角に向かって歩き始めた。



 野営地に帰還した私は、驚きに目を瞠る兵士たちに迎え入れられることとなった。彼らは私とカイの生存は絶望的だと信じて疑わなかったのだろう。無理もない。私自身、何度か死を覚悟したのだ。氷の城の主の助力がなければ、今頃雪の中で息絶えていたことだろう。
 しかし、私は生還した。私は不可能を可能にしうる存在だと、証明し得たのだ。
 同期たちは私を称賛し、上官は特別休暇や権限などの報酬を与えてくれた。
 対して、およそ人道的でない任務を課した教官は、処罰が決定された。誰もが身から出た錆だと彼を蔑み、ネビリムは奇跡を成し遂げる天才だと口にした。
 私はそれらの言葉に謙虚に応じ、決して教官を貶めることも、自らの成果を誇ることもなかった。ただ穏やかな微笑みを浮かべ、ネビリムとはかくあるべきだという姿を、演じ続けた。
 カイとはこの奇跡を分かち合った仲だが、この件以来疎遠になった。きっかけは、私が彼の告白を断ったことだった。彼はしばらくはそれまで通り私に接してくれていたが、次第に会う回数は減り、挨拶を交わすのみの関係となった。
 それを、惜しいとは思わなかった。ひとりの友人を失ったことは私の人生に打撃を与えず、日常は淡々と流れていった。これでよかったのだ、と思った。
 私は氷の城での不思議な出会いを誰にも語っていない。語るほどの相手を得ることも、語ったところで信じてもらえる確証もないからだ。
 それでも、この世ならざる体験のすべてが虚構の記憶、極限状態ゆえの幻覚だったとは到底思えなかった。城での出来事、そこで交わされた会話は、私にとっては真に迫ったものだったのだ。
 あれから、私の生き方は少しだけ変わった。自分の冷淡な本心を変えようとするのではなく、あるがままを認め、自分の孤独な姿を受け入れた。
 誰も私のために涙を流さなくていい。私も、誰のためにも涙を流せないのだから、と。
 そうすることで私は、流れに身を任せたかのような安息感を得た。鏡の破片が刺さり氷の塊と化してしまったかのような心で、私は訓練に打ち込む日々を送った。
 やがて神託の盾騎士団に入団し、いつしか魔将と呼ばれ、導師の名のもとに幾多の命が犠牲になるさまを見届けることとなっても、私の凍り付いた心は解けることはなかった。
 運命の日、あの城のあった場所で、惑星譜術の実験を行うまでは。
 



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 あとがき

 ここまで読んでくださり有難うございました! ネビリム先生の名前の由来が雪の女王かもしれない、というところから妄想が広がり、彼女にもカイがいたのでは、と考えたことから小説を書き始めました。
 若い頃のネビリム先生は少々きつめな性格をしていたんじゃないかと思いまして、彼女の過去を捏造しました。神託の盾騎士団って実力だけで上を目指すには肝っ玉がないと務まりそうにないですし…ネビリム先生もジェイドと同じように天才らしい欠陥を抱えていたのではないか、「人は変われる」という言葉を残した先生自身にも、変わる経験があったのではないかと考えまして…。
 いえ、本当のところを言いますと、非の打ちどころのない女性、それこそ教え子たちにとって聖母のような存在の過去が、どろどろしていたら素敵だなと思ったんです。完全に私の願望ですね。ごめんなさい。
 人間臭すぎるネビリム先生を見せつけられて気分を害された方は申し訳ありません。一つの解釈、一ファンの妄想、単なる童話のパロディだと思っていただければ幸いです。
 お目汚し大変失礼しました!
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