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Float/World

成人済み腐女子の雑記帳。初めての方は''このサイトについて''をご覧ください。

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表紙を作る遊び

 小説を書く時間と気力が無い、しかし創作意欲は満たしたいと思い、すでにある材料(写真とタイトル)で料理(架空の同人誌の表紙)でも作ろうと思い立ってぽちぽちしてたら、小説を書くのと同じくらいの時間と気力を吸われました。デザイン(と呼べるほど大したものはできていないが)て難しいんだ…知らなかった…
 三時間で三枚できました。習作だと思って生暖かい目でご覧ください。

 アタラクシアでの七日間
 
 GIMPのポスタリゼーションという機能で写真をいじると面白いと聞いたのでやってみました。絵自体の雰囲気は気に入っているのですが、その後の文字の配置と配色が難しかった。神戸で撮った写真なのでなんとなく雁葵本の表紙ということにしてみましたが、どんな内容なんでしょうねこれ… デザインが今一つなのは分かっているけれど、何処をどう直したらいいのかはわからない、そんな一枚です。

その虹渡らないでください

 平凡と無個性を目指しました。どこにでもありそうな表紙。カップリングが思いつかなかったので、取り敢えずリヴァエレ現パロということに。ふたりのなんでもない会話や日常を描いた、読む人の人生にほとんど影響を与えずに通り過ぎるやっすい話、が入っているという想定です。

草の愛花の恋

 元の写真を結構気に入っている一枚。撮った時のことを思い出していたら、村田英雄「姿三四郎」の『花と咲くより踏まれて生きる/草の心がおれは好き』が浮かんだので、そこからタイトルを付けました。ただし、内容は成人指定というね。葵さんとセックスができたら雁夜くんの人生はそこで行き止まりになると個人的に思っているんです。葵さんに想いが通じた、そのルートに入ってしまったのを見届けた神様が、「こっちはやっぱり間違いだから彼には一生片想いのままでいてもらおう。そうしないと世界が進まないし」とルートを寸断して、雁夜くんをひょいと摘み上げて元の不毛な世界に戻してしまう。よってこの本で描かれる内容は完全なifです。正史でもなんでもない、夢にも劣る取るに足らない妄想。この世の全てから見離された主人公が、何かの間違いで迷い込んだ分岐で束の間に享受した凡俗な幸福。いつか中身を書けたらいいなと思います。

 表紙作り、楽しかったし作っているうちに小説を書きたい気持ちが湧いてくるのを感じられたので、またやりたいなと思います。いい練習になりました。閲覧ありがとうございました!

 
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2016年

 明けましておめでとうございます。去年は大変お世話になりました。今年もコスプレ、創作など続けて参りたいと思いますので、よろしくお願いします。

 一年を振り返る日記を書いていたのですが、大晦日はF/GOのロンドン編をやるのに忙しかったりキングスマンを見始めたら脳内物質が出まくりでパソコンに向かうどころではなかったので、書き終えられずに新年を迎えてしまいました。零時に間に合わなかったのを恥じつつ公開いたします。お読みいただければ幸いです。

 去年は一言で言って、変化の年でした。と言っても毎年何かしら変わっているのが普通だと思いますが、去年がなぜ特筆すべきかと言うと、それらのほとんどが良い変化だったからです。ごく個人的な、内面的なものばかりでお恥ずかしいですが、いくつか取り上げていきたいと思います。

 一つ目は、本が読めるようになったことです。一昨年以前は時間的、精神的な余裕がなく、年間に10冊も読めていなかったと思います。しかし、去年の初めに小説の資料として新書を手に取ったことをきっかけに、再び本を読む習慣を持つようになったのです。最初は目が行の上を滑るばかりでなかなか本の内容が頭に入ってこず悪戦苦闘しながら読んでいましたが、今では比較的スムーズに言葉を脳に吸い込ませることができるようになったと感じています。
 読書が二十を超えて趣味になったことは、大きなプラスの変化でした。私は小学校高学年~中学生の頃にかけて本当に本が好きで、毎日、試験前でさえも本を読み、将来は文章に関わる仕事がしたいと願っていました。しかし、高校に入学したあたりから読書と言う行為が苦手になり(好きな作家や物語はたくさんありました。それらが嫌いになったというのではなく、読書という行動を起こすのが様々な原因により困難になったのです)、年間に数冊も読めなくなってしまったのです。本が読めなかったこの7年間、自分は自分の好きな自分ではなくなったと感じ、苦しい思いをしていました。自分はもう一生読書を趣味にできないのではないかと、怖れを抱いていました。自分は大人になったから本が読めなくなった、大人である限り大好きだった本が読めない、二度とあの頃のようには読めないのではないか、とずっと。
 それが、去年に入って、完治とは言わないまでも、回復しました。敬愛する作家さんの、「忙しい時でも年間100冊は読んでいた」という言葉を目にして奮い立ち、その半分でいいから読もうとコンスタントに読み続けました。読書記録のサイトに登録したのも功を奏したと思います。目標を立てて読書することは以前の私なら邪道と考えたでしょう。けれども、今では、何だっていいのだと思えます。文字列をなぞり創造を再生する想像の世界に再び踏み込めたこと、それは動機はどうであれ本当に幸いなことだと言い切ることができます。
 今年も、さらに来年も、読書を続けられたらと思います。

 二つ目は、二次創作を公開するようになったことです。小説を書くことそのものは、これだけはコンスタントに中学生の時から続けていたのですが、ネット上に発表するということは初めてでした。それというのも、私が一次創作書きだったからです。オリジナル作品には大変思い入れがあるからこそ完璧な姿で世に送り出したい、そのために設定を練ったり資料を探したり最終章までプロットを組んだり、全身全霊をかけて創作にあたるのですが、肝心の本文となると序章すら満足に書けませんでした。公開は全部出来上がってから行いたい、よって辛うじてできあがった部分も外に出さず、四苦八苦しているうちに心の体力が切れて創作を中止してしまう、そんなことを何度も繰り返してきました。小説を公開しないから自分の実力がどの程度か推し測る機会もなく、未熟でほとんど成長のないまま10年の月日が流れました。恥ずかしいものを世に残さずに済んだことには安堵の念を覚えるのですが、それにしても勿体ない時間を過ごしてきたとも思います。
 それが、私が二次創作を始めたきっかけであるテイルズオブジアビスをプレイし、作品の余韻に浸って妄想をしているうちに小説の発想が生まれ、せっかくだから作品として残したいと願ったことを機に、公開を目標に文章を書くようになったのです。短くていい、教訓やテーマなんて無くていい、書きたい場面を、台詞を、自分の頭の中で再生されるままに文字で写し取ること、それをゴールとして設定し小説を書き始めました。すると、表現や台詞が思い付かず考え込むことこそあれど、ひとまずひとつのまとまりとして完成させることはできるようになりました。すでに二次創作に慣れていらっしゃる方から見れば小さいことかもしれませんが、私にとっては大きな進歩でした。完成。脱稿。筆を置く。今まで長編を書こうとして何度も挫折してきた人間にとっては、短編でも書き終えられたことには喜びを覚えざるを得ません。公開した作品に評価がつくことももちろん嬉しかったのですが、二次創作ライフにおいてそのクライマックスは脱稿した瞬間にありました。アイデアを思いついた時は気持ちがいいし、書いている間ももちろん楽しいし、ブックマークの通知には胸が躍ります。けれども、私が最も幸福感を得たのは、書き終えたその瞬間でした。脱稿ハーブとはよく言ったものです。それくらい、私にとって作品の完成は嬉しいことでした。
 私が本が好きで、文章に携わる仕事がしたいと思っていたこともあったことは前の段落で書きました。二次創作を公開するようになったことは、ささやかながら私の古い夢を叶えていたとも思います。かつての自分が理想とした生き方の数十分の一を達成できて、本当に良かったです。
 小さなお話、中くらいのお話、大きめのお話。それらを少しずつ、去年は公開することができました。小さなお話のシリーズはまだ続いていますし、大きめのお話はまだ最初の方を書き上げただけです。本当に私の二次創作ライフは始まったばかりです。好きなものを、好きなだけ書く。未完成でも、拙くてもいい。それでも誰かが読んでくれるし、いっそ誰にも読まれなくたっていい。書いてもいいんだ。そのことを初めての二次創作公開体験を通じて知れて、心から安心しました。今年も、書いていきたいと思います。

 三つ目は、これははっきりしたことを言うのは憚られるのでぼかすのですが、今とは違った生き方を志せるようになったことです。かつての自分が夢見ていた、二度と手に入らないと諦めていた、そんな生き方を、もう一度得るためにやり直そうと思えたことです。
 10代の真ん中で、私は大きな選択ミスを犯しました。そのせいで、そのあとの一生が定まってしまったように思い、再び別の選択肢に自分の今歩いている道を繋げることは狡いことだと信じて疑いませんでした。私は私をよく知らない人たちによって何度も否定され、諦めろと言い聞かせられてきました。私は次第にその声を内面化し、過去の自分を埋葬して生きることが正しいことなのだと思い込むようになりました。死んだように生きる。私の好きな私には戻れず、ただの部品、社会の歯車として息だけし続ける。飛び上るほど嬉しいこともなければ、泣けなくなるほど辛いこともない、そんな生活が死ぬまで続くのだと思っていました。
 けれども、私の罪は別のところにあったのです。私に寄り添ってくれる人たちは、何度も、私には別の生き方があると言ってくれました。諦めなくていい、いつでもやり直していい、と。私は可能性を墓場に置き去りにしてどこにも角が立たないように生きようとしていたのです。私は努力することから逃げていた。私を見捨てないでくれていた人たちは、私にはまだやれると言っていてくれていたのに、私だけが自分を裁いて嫌がって逃げ出していた。夢を見ないことが大人になることなのだと思っていた。そんなこと、誰が言ったのでしょうか。私を通り過ぎる人たちの中の1人でさえ、そんなことは言わなかった。すべては私が努力しなかったことへの言い訳でした。私の罪は、誤った選択をしたことではない。選択をした先で努力しなかったことにあったのです。
この選択を、過ちにしないために。目標のために努力する過程こそを尊べるよう、今年も、頑張りたいと思います。

 良い一年でした。死んだと思っていた自分が、いくら探しても見つからないと思っていた自分が、ここに、生きていたことが分かりました。私の好きだった私はまだ息をしていて、再び彼女の人生を歩むことができるのだと、知ることができた一年でした。本当に良かったです。
 お恥ずかしながら、去年の元旦に書いた個人的な日記を公開します。

「この苦しみから逃れるためには創作しかないのです。もうなんでもいいから書いて書いて気を紛らわすなり吐き散らすなりほかない。私には手段が残されていない。悲しい。悲しい。ひたすらキーボードにたたきつける。駄文でもいい。私は今の私にしか紡げない言葉を文章にするしかない。言葉という形にするのだ。この苦しさを。この苦しみが大したものではないと思えるようになるように、できることは限られている。楽しむのだ。できるだけ。何も感じなくなった凍り付いた心でもいい。少しづつ元気になって。お願いだから元気を取り戻したい。ああ。私はどこにいるの。どこに隠れてしまったの。遠いところ? それとも灯台下暗しだろか。確かに生きているはずなんだ。死んでしまった私。簡単に心が死ぬはずない。ずたずたに引き裂かれても生きているはずだ。この世のどこかに。ああどうか。私を取り戻したい。死にたくない。まだ生きていたい。まだ楽しいことを知りたい。」

 一年で、私は息を吹き返しました。自分のあるべき姿を思い出して、自分の歩むべき道のスタートラインに立てました。私の背中を押してくれた作品たちや周りの方々には感謝してもしきれません。彼らにお返しができるよう、実りある新年を送りたいと思います。

 2016年も、どうかお付き合いくださいませ。 

 今年が、皆様にとって素晴らしい一年となりますように。
 海辺の町の窓辺で、お祈りしております。

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麻島葵

Author:麻島葵
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